ヨルダン人社員の退職理由
我が社のヨルダン人の女性社員が、遂に辞意を申し出た。
「遂に」と書いたのは、これまで数ヶ月の間、モメ続けていたからだ。
モメごとがやっと収束するということで、ホッとするような、でも「これでよかったのだろうか」というような、複雑な気持ちになった。
彼女の職種は販売員。
店頭に立ち、自社商品をお客様におすすめする仕事だ。
彼女の退職理由は、端的に言うと「バカにされた」である。
一体どういうことか。
それを説明するために、まずドバイの「構造」について書きたい。
ドバイ企業の構造
ドバイ、いや、中東の湾岸諸国では、出身によって明確な階層分けを感じることになる。
肩書きと出身国には強烈な相関関係があり、社会生活における「強さ」もそれに準じている。
「人類みな平等だよ」なんて口にされたとしても、「そうだよね」と納得するドバイの住民はいない。
企業や社会のトップはUAE人、またはGCCの産油国系男子。
そこを頂点とした出身別の階層分けである。
とはいえ、その「階級」は絶対ではなく、出世する人や、頭脳や技術、パーソナリティをもって「上」のカテゴリーに所属する人も存在する。(インド人CEOや、アフリカ出身の医師、パキスタン出身のファッションモデルなど)
また、逆に、「上」のカテゴリーとされる国の出身者でも、スキルの関係などで、ブルーカラーの仕事につく場合もある。
しかし今回は、あくまで「一般的な構造」を説明したいので、例外の話はひとまず置いておいていただいて、「基本的にはこうらしい」と認識していただきたい。
職種・給与と出身の相関関係
ドバイにおいて、出身と職種・収入レベルには相関関係がある。
そもそも、出身の国によって、希望する給与が圧倒的に違う。
例えば、同じ22歳男性でも、アフリカの農村部出身の青年と、ロンドンの大学を出た青年とで、給与のイメージが同じわけがない。
ドバイ・ドリームを追って「自国の給料の3倍を稼ぐぞ!」と言ったとしても、出身国によって、元の額が違いすぎるのだ。
我々日本人は、大学新卒初任給ならば手取り月給18万程度はもらえるはずだ。
しかし、一生かけても月給が1万円に至らない、なんていう国もあるのがこの地球。
そして、日本以上の給与水準の国からも、逆に貧しい国からも、おしなべて人が押し寄せているのが、国際都市ドバイの労働市場。
また、ドバイでは、職種別の給与の差もめちゃくちゃ大きい。
いや、世界的にはそっちがスタンダードかもしれない。
日本において
カフェ店員のアルバイト時給が900円、
事務アシスタントが時給1,000円、
家庭教師アルバイトが2,000円、
なんて、その程度の差で済むのは極楽の話かと思える。
世界では、そんな差では済まない。
(よって「大学時代レストランでアルバイトしていた」と話すと、壮絶なる出身の苦学生のように勘違いされてしまう。日本の大学生にとっては一般的なアルバイトなんだけどなぁ)
また「ドバイで働きませんか?」という就職斡旋人が、めぼしい国に行って人をさらって…人材確保をしてくるので、特定の職種に特定の国や地域の人間が集中するという現象も起きる。
こんな事情が絡まりあい、ドバイの労働市場の構造が出来上がっていく。
- 出身国そのものの貧富の差。
- 職種によって給与に大きな差。
- 母国で受けられる教養や訓練の差。
- 人種による向き不向き。(例:接客はアジア人が得意。アパレルはヨーロッパ人が得意、など)
- 就職斡旋人の動き。
こういったことが反映され、その結果として、職種と国籍に相関関係が生まれていく。
その相関関係は固定化し、みなの共通認識となり、やがて「この職種はこの国の人」という固定観念ができあがり、潜在意識レベルまで浸透するのだ。
接客業と出身
さて、我が社の話に戻ろう。
ドバイに来たことがある人ならお分かりだろうが、一般的に、販売の仕事は主にフィリピン人が担っている。
フィリピン人は明るく人当たりがいいし、希望給与が接客業のそれとピッタリ合致する。また、ドバイは国際都市であり、英語が得意なフィリピン人は重宝される。
この街では、アラビア語が話せなくても生きていけるが、英語が話せなければ何もできない。
しかし、UAEと言えど、地方に行けば行くほど、アラビア語しか話せない顧客(地域住民)の率が上がる。
そのため、地方都市には極力アラビア語を話せるスタッフを配置する。それが我が社の方針だ。
アラビア語が喋れて、希望給与が販売員の給与とマッチするのは、前述のピラミッドでいうと「GDP低めのアラブ」の出身者たち。その一人が、今回モメたヨルダン人の彼女であった。
「アラブ人なのに」
店舗配属の販売員というのは実は孤独なものだ。
上司はオフィスにいるし、エリアマネージャーの訪問はたまにしかない。他店で働く同僚と交流すれば、アラブ系の販売員仲間が複数いるわけだが、それぞれ別店舗。普段から顔を合わせることはない。
配属先の店舗では、ひとりだ。
そして、彼女の配属された店舗では、たまたま、他社さんの販売員がフィリピン人ばかりで、アラビックの販売員は、彼女ひとり。そこで何らかの疎外感を感じたのだろう、彼女の態度は周囲に対してどんどん硬くなっていった。
そして、バカにされた、足を引っ張られた、変な目で見られる、といった悩みを吐露するようになった。
どういう理屈かというと、
「みんな販売員はフィリピン人がやる仕事だと思ってる。アラブ人なのに販売員をやってる私のことを、あいつらは笑っているんだ。その証拠に、わざと私の接客を邪魔してくるし、ヒマな時間はフィリピン同士で集まって、私の分からない言語で喋っている」
といった具合だ。
その話を冷静に聞いていたレバノン人上司は、相手が悪いと思えばそう言ったし、彼女のワガママだと思えばそう言った。
だが、長引くにつれて、実際に起こっている問題なのか、彼女の被害者妄想なのか、徐々に曖昧になっていく。
そして結局、自ら辞めると発言するに至った。
まもなくインド人の人事担当者が、雇用契約とビザのキャンセルの手続きをし、ヨルダンのアンマン行きの航空券を手配する。
固定観念と戦うべきなのは誰か
数年前、イギリス人研究者が自宅から生中継でテレビ番組のインタビューに答えている間、仕事部屋に子どもが入ってきてしまい、韓国人である奥様が大慌てで子どもを連れ出した動画がバズった。
その際、奥様のことをメイドやナニーだと勘違いした視聴者が多くいた。
「イギリス人の家にいて、子どものケアをしているアジア人がいたら、メイドやナニーに違いない」
という固定観念が原因だ。
別に誰も悪気があって誤解したわけではないだろう。
メイド労働力の最大の輸出国がアジアにあるのは事実で、その評判が浸透しているということでもある。
とはいえこの誤解は、当時大きな議論を呼んだ。
このような「XX系の人ならXXの仕事に違いない」という固定観念は数え上げるときりがない。
「日本の地方都市でオシャレな若いフィリピン人がいたらホステスに見える」というのは典型的な例だろう。
日本を自腹で観光できる収入があるキャリアウーマンかもしれないのに。
そういった無意識の固定観念を我々は多く持っている。
当事者は、
他者から向けられる固定観念に苦しんだり、
または、
自らに対して固定観念の呪縛を切り離せず、
仮想敵に囚われたりする。
今回の彼女が囚われていたものを、我々が取り除くことはできなかったのだろうか。
なお、彼女は、オフィスワークへの転向を望んだわけではなかった。
(もし仮にオフィスワークを望んだとしても、そのようなスキルは持ち合わせていなかった。)
彼女はあくまで販売員として働きたがった。
しかし、販売員として働くことは、フィリピン人と混ざり合うことであり、それが彼女にとって「変な目で見られないだろうか?」という不安を作り上げていた。
「なりたいものに、なればいいじゃないか」ーーー
そう気軽に言い放てるのは、私が恵まれた先進国の出身だからだろうか。
念のため言っておくと、我が社の他の店舗では、ヨルダンやエジプトなどアラビックの販売員が、フィリピンやインド、スリランカといったアジア系の販売員と共にイキイキ働いている。
地方店舗でも、観光客に人気なドバイの有名大型ショッピングモールでも。
誰も「ヨルダン人がフィリピン人と同じ仕事してるなんて変だ」なんていう目では見ていなかったはずだ。
ごくごく普通の光景である。
彼女ひとりが、なにかに囚われてしまっていたのだ。
我々に、なす術はなかったのだろうか。
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