ドバイの超格差社会で

格差社会ドバイ 私のドバイ生活
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ドバイはお金持ちの街なのか

「ドバイはお金持ちの街」というイメージ戦略が成功して久しい。

今や大半の日本人に、そのイメージが刷り込まれている感がある。

 

そのおかげ(?)で、

「ドバイに住んでいる」と話すと、

金持ちやブルジョワやら、

とにかくアッパーなイメージを抱かれる。

 

しかし実際は、

「いわゆるアラブの大富豪」やら

ラグジュアリー生活を享受する人は

ほんっっっっっっっの一部。

 

彼らのラグジュアリーな生活を

作り上げたり、支えたり、演出したりする

庶民とワーカーで

人口の大半が占められる

超・格差社会である。

 

月収1000倍の差

日本人という生き物は、

いや、私という生き物は、

幸か不幸かその気になれば

どちらの階層ともつるむことができる。

 

昼間、月収5万円のワーカーと100円の菓子を半分こし、

 

夕方、月収50万円の友達と茶をしばき、

 

夜、月収5000万円の暇人に夜遊びに連れ回される。

もっとも、このレベルだと「月収」で考えるのは不適切だと思うが。

 

1000倍の差だ。

 

こんな生活をしていると、

自分のスタンスをどこに置けばいいのか分からなくなってくる。

 

金銭感覚が、狂う。

上方向にも下方向にも。

 

いや、どちらも、

その当事者にとっては「正しい価値観」なわけで、

「狂う」というのはおかしいかもしれない。

 

そして、誰とメシを食おうが自分の収入に変わりはないのだ。

 

「高いね」「安いね」と言えなくなった自分

たとえば。

 

インド人の運転手(お兄ちゃん)と長距離の外出をしたとき。

 

車内で長時間お喋りをしたり、

カフェテリアで1AED(約30円)のチャイを1杯ずつ買ったりして、

長い時間を共に過ごし、ついつい仲良くなる。

 

そうして到着したショッピングモールにて

「ねーねーあのお店入ったことある!?あの店にあるもの全部高いんだぜw」

と話しかけてきたとき

(あ、ごめん、私その店のゴールドメンバーだわ…)

と気づいてリアクションに困ってしまい、

親しく会話したことを、

つい、悔いる。

 

こういうことが、頻繁に起きる。

 

せっかく仲良くなった人に対して、

こんな風に感じるたびに心苦しくて、

日常会話の中で「高いよね」「安いよね」

という話ができなくなった。

 

ここで罪悪感を抱いてしまうのは

自分が考えすぎなだけ、なのだろうか。

 

こんな違和感を感じずに生きることもできる。

 

交流をシャットダウンしたり、

所与の貧富を「当たり前のもの」と刷り込んだりすればいい。

しかしそういう性分には生まれつかなかった。

 

自分のスタンスは

大概、

層と層の間には

コミュニティの分断がある。

 

しかし幸か不幸か、

日本人はどことも交流を持つことができる。

 

「アジア人」という、労働者層に親しみのある属性。

そして

「先進国」という、富裕層に親しみを持たれる属性。

その両方があるからだ。

 

その結果、前述のように、

1日に会った人間の収入に1,000倍の差があったりする。

 

この街に「普通」はない。

「平均」を語るのは無駄。

 

いろんなひとがいる中で、

問われるべきは

「では自分の価値観は何か?」

ということではないだろうか。

 

自分はどこに身を置きたいか。

自分はどれを受け入れたいか。

自分は何に耳を傾けるのか。

 

あるのはそれだけなのだろう。

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