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日本人はシャイ!と言われる理由|悩んで分かったShyの正体

日本人はシャイ中東ビジネス

アラブ人社長に「日本人はシャイだ」と言われて困惑

アラブの地場企業に入社する前、面接の最後。

アラブ人社長くんにこう言われたことを今でも覚えている。

 

「日本人はシャイだ。

しかし、ここはもう日本企業じゃない。

シャイはダメだよ。

Never be shy.」

 

そのとき私は

「私は全然恥ずかしがり屋じゃないし、引っ込み思案でもない。無口でもない。

もしそのような性格だったら、そもそも日本人女子単身でアラブくんだりをウロチョロしてなんかいない。

どうしてそんなことを言うのだろう?」

と単純に不思議に思ったものだ。

はてな

しかし今ならわかる。

やっぱり私は「シャイ」だった。

彼らにとっては。

 

日本人は、なぜシャイだと言われるのか?

私が思い当たった3つの理由を書いていきたい。

 

シャイの定義が違う

1つめは、そもそもの定義の違いである。

「シャイとはどのような状態のことか?」の認識が違うのだ。

 

ここに、スケールがあるとしよう。

左端は「無口で消極的」。

右端は「うるさい自己中」。

日本人はシャイ

この中で「シャイ」はどのあたりのことを指す?

 

私たち日本人は通常、シャイ(Shy)を

「恥ずかしがり」

「引っ込み思案」

と日本語訳している。

 

つまり日本人の頭の中で、Shyとはこのへんだ。

日本人はシャイ

しかし!

 

自己主張の国、アメリカ人。

私がいちばん、アラブ人。

隙あらば言葉を発し続ける、インド人。

 

こんな人たちがスタンダードな社会においては、Shyとはこのへんだ。

日本人はシャイ

そして、やっと気がついた。

「私って(彼らから見ると)シャイなんだ」と。

 

日本の美徳は大体シャイに分類される

2つめは、先ほど書いた「シャイの定義が違う」にも関連するが、日本社会において美徳、素晴らしいこととされる態度が、海外では単なるシャイに分類されてしまうこともある。

 

例えば、謙虚さ、謙遜、譲り合いの精神などがそうだ。

 

もちろん、このような美徳の価値観を共有できる外国人もいる。

また、教養の高い人であるほど、ペーペーのアジアの小娘の話をしっかり聞いてくれたり…という事はある。

 

しかし、日常生活において出会う人全員が、こちらの美徳を理解してくれるとは限らない。

そして何より、自分が身を置く場所において「自分とは違うシャイの定義」を持っている人たちが多数派なのであれば、そちら側の水準で行動していかないと、自分は埋もれるだけである。

 

日本人的な発想で、大人な態度、教養ある態度、美しい態度だと思ってとったあなたの行動が、実はあなたの評価を下げることになりかねない。

少なくともこの国では。

 

譲ることは、大人の態度ではない。

ぬけぬけと譲り渡してしまった、負けの態度である。

 

謙虚さは、美しい態度ではない。

自分の功績を5倍に盛って話す人が大多数ならば、あなたの評価はシンプルに彼らの5分の1になるだけだ。

 

影の努力は、美しい努力ではない。

誰にも気づかれないから。

 

そんな状況下でサバイブしていくには、日本では「ちょっとアウト」思われる態度でも、勇気を持ってやらなくてはいけない。

  • 言いたいことがあるなら、相手の話を遮ってでも言う。
  • 話を遮られたら「まだ言い終わっていない」と言い返す。
  • 斬り込むときは「彼にも事情はあったと思いますが…」みたいな、譲りの前置きをせず、ズバっと主張から始める。
  • 自分の功績は「自分の功績です」と言う。
  • 見えない部分の努力は「やりました」と言う。

 

実は私は、これをやるのが結構しんどい。

まったくもって慣れていないので、心理的にドッと疲れてしまうのだ。

この手の主張をする必要がある日の前夜は、自宅で一人シミュレーションをするレベルである。

 

とはいえ、自分の勤務先が日本的文化で運営される日本企業ならばともかく、海外の現地企業に所属することを選んだならば、「だって日本では・・・」などと言っている暇はないのである

 

また、逆に、日系企業で働いているあなたの元に外国人や帰国子女が入社してきて、上記のような態度をとった場合「生意気だ」「失礼だ」「自己主張が強すぎる」と評価を下げたくなるかもしれない。しかし、その人の背景にはこのような事情がある可能性がある。つまりはビジネスパーソンとして優秀である可能性があるわけで、頭ごなしに否定したり軽蔑したりしないでほしいと思う。その芽を摘んでしまうことは、あなたにとっても損なのだから。

 

間違えてもいい、という感覚

日本人はシャイ

3つめ。Shyの正体をもうひとつ見つけた。

 

強い自己主張を自然にする人たちを見ていて「日本人と圧倒的に違うなぁ」と思う点のひとつが、「間違えてもいい」と言う感覚である。

 

主張は、言い切る必要がある。

そして私たち日本人は、言い切るには確固たる100%の根拠が必要だと思っている。

しかし、私が観察している限りにおいては、彼らは60%位の自信があれば、言い切ってしまう。

 

もし自分が間違っていたら、日本の社会においては恥ずかしいことだし、白い目で見られる。

しかし彼らの社会においては「あ、違ったわ」と言えばいいだけのことなのだ。

 

同じ60%の認識でも、

60%なら十分だと思い、主張を言い切る彼ら。

60%では不十分だと思い、主張を躊躇する日本人。

 

抱えている意見は全く同じでも、

頼り甲斐があるように見え、

高い評価を受けるのは、明らかに前者。

 

映画館でトラブルが起きた際のクレームでも感じたことだが、

私たち日本人が根拠が100%になるまでモタモタしている間に、彼らはズバっと主張してしまう。

これがシャイの正体の1つでは無いだろうか。

 

日本的価値観というブレーキを解除しよう

突破

間違ってもいいから、ズバッと言い切る。

相手を遮ってもいいから、言い切る。

 

最低限そのくらいの態度でないと、シャイとみなされ、評価されない。

 

なのに、これを実行するには、罪悪感というブレーキがかかってしまう。

 

この難しさに対面するまで、まさか自分がこんなにも日本的なルールに縛られた人間だとは知らなかった。

どちらかというと、自分は日本式ルールからはみ出していると思っていた。

しかし、はみ出し者ながらにも、「日本式のルール」が体に染み付いているらしい。

日本式ルールに反する行動をとることに、こんなにもエネルギーが要るとは思ってもいなかった。

 

海外は海外でも、日系企業の海外事務所ではこんなことは全く感じなかった。

それはそうだ。

企業内の風土は日本なのだから。

しかし現在、海外のローカル企業で働くということを選んだのだから、シフトチェンジが必要なのは、こちらの方。

 

出る杭は打たれる、なんていうのは日本の話。

出て出て、出て、そしてやっと人の目に止まることができる。

 

ここで戦っていくには、小さな島国のローカル・ルールは、シャイというレッテルとなって足を引っ張る

日本的価値観のブレーキは、解除していかなくてはいけないのだ。

コメント

  1. ゆき より:

    うわーーー、たどり着いてしまいました。
    日本人はシャイかで検索しました。私はアラブ圏にいる日本人です。
    この記事に激しく同意します😂

    • MonaMona より:

      コメントありがとうございます。共感していただけて嬉しいです…!
      アラブ生活、がんばって戦っていきましょー!

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