アーシュラー期間中のイランを歩く
アーシュラーの期間中、イスラーム教シーア派の国であるイランの街中は、アーシュラーモード一色になる。
国を挙げて「喪に服す」のだ。

街中の雰囲気を動画にしたよ
具体的にどうなるかというと、
- 会社や学校は休み
- お店も休み
- バーザール(市場)も休み
- レストランも休みがち
で、
- 交通機関は催し物を優先し、ルート変更が発生
するし、
- 追悼のため、黒い服を着る人が増える。
- 街中の装飾や壁画は「カルバラーの悲劇をテーマにしたもの」に。
- 営業しているお店はアーシュラー関連商品の販売に注力。
- この期間中のみ、すっかり模様替えされる施設も多々。
(例:バスターミナルが青空劇場に。野菜市場が礼拝所に。公園が人生相談所に!?)
殉教劇が上演されているこの広場は、普段はバスターミナル。
ホセインの棺桶を模した山車が飾られているこの場所は、普段は八百屋さん。
イスラームのお坊さんによる、ストリート・人生相談所。
アーシュラーの期間中のみ開催。
炊き出しと提供の文化
そんな街中を歩いていると、無償で食べ物や飲み物が配布されている場面に幾度となく出会う。
ごはんであったり、
お茶(チャイ)であったり、
水であったり。
上記の写真で振る舞われているのは、イラン独得のさくらんぼ茶だ。
出身、男女、年齢、外国人、異教徒、関係ない。
分け隔てなく振舞われる。
もちろんあなたも喜んで受け取って構わない。
モスクやホセイニーイェのような宗教施設で配布されることもあれば、地域の集会所のようなところで配布されることもある。
大型の施設(有名モスクなど)では、炊き出しを受け取りたい人で大行列ができている。
その年の炊き出しの内容には、おサイフ事情が反映されるようで「今年は不景気だから肉が入ってなかった」「あっちの街の炊き出しには肉が入っていた」「もらいに行こう!」などなど話題になる。
(ホセイニーイェで配布された炊き出し。今年は肉なしのようだ)
アーシュラー期間中の注意事項
さて、アーシュラー期間中にイランなどシーア派の国へ渡航する場合、注意してほしいことがある。
先にも述べたが「とにかく休み」なことだ。
仕事での渡航を検討しているなら、きっと取引先は休みだろう。
大型連休になるので、外国人(駐在員)の場合はこれを機に旅行に行ってしまう可能性も高い。
スンナ派が多数を占める街でも、シーア派の人だけは休みをとっている可能性もある。
まずは相手に状況を聞くことが先決だが、そこで通常運行じゃない様子が感じとれたら、潔く諦めてアーシュラー以降にリスケするのが賢明だ。
もしそれでも行くのであれば(要するに私のようなオタクであれば)、無理・無茶のない範囲で行事を見学させてもらうと貴重な体験ができるだろう。
誰もが気軽に立ち寄れる公共の場で行われる催しも多々ある。

また、公共交通機関を利用する場合、通常運行しているかどうか確認しておくと安心だろう。
現代に活きるモチーフとしてのアーシュラー
「毎日がアーシュラー、すべての日がカルバラー」
という言葉を耳にしたことがあるかもしれない。
イラン・イスラーム革命のスローガンだ。
「アーシュラー」そして「カルバラーの悲劇」は、単なる「過去の事件とその葬い」ではない。
現代イランにおいては、モチーフとしての役割がある。
なんらかの「戦い」に立ち向かうとき、
「ここはカルバラーだ」と集団を奮い立たせる。
(※イマーム・ホセインとその一族が殺害された戦いの地)
なにかを途中で諦めたくないとき、
「我々はクーファの民にはならないぞ」と叫ぶ。
(※ホセインと共に戦うことができなかった村)
カルバラーの悲劇に関連する言葉を引用するのだ。
前述の、イラン・イスラーム革命のスローガンが最たる例である。
イランのアーシュラーでは、イマーム・ホセインになぞらえて、近代・現代の「殉教者」ーーつまり、祖国イランのために命を落とした戦没者も、併せて弔われる。
イラン・イラク戦争の戦没者なども「殉教者」と呼ばれ、この期間、写真などが掲示されている。
大昔のことであれ、現代のことであれ、志を共にする仲間のために亡くなった者は、アーシュラーの期間に哀悼されるべき対象として見なされているのだ。
カルバラーの悲劇とアーシュラーは、現代にも「生きて」いるのだ。
アーシュラーは祭りなのか
アーシュラーはある種「奇祭」として書き立てられることがある。
しかし、私はどうしても「祭り」というその表現を受け入れることができない。
アーシュラーについて聞かれたら、どんな状況であろうとも(寝言であろうとも、酔っ払っていようとも)、私の口から「祭り」という言葉は出てこないだろう。
「祭り」には「祝いごと」のニュアンスが多分に含まれすぎている。
アーシュラーは、追悼行事だ。
シーア派の人々が、大切な人の死を悲しむための日である。
確かに、年1回の恒例行事で、大勢の人々が集まって行うものだから、この行事に対し「祭り」という表現を使いたくなる感覚も分からなくはない。
しかし、想像してみてほしい。
広島の平和記念式典を「原爆のお祭り」と言われたら、違和感がないだろうか。
御巣鷹山の慰霊祭を「墜落のお祭り」と言われたら、違和感がないだろうか。
そういうことだ。
「祭」は、2通りの英訳ができる。
1つは「フェスティバル」
もう一つは「セレモニー」
この「セレモニー」の方をあてるのであれば、アーシュラーの意図するところにまだ近いと言い得るのかもしれないが、「フェスティバル」の意図には決してならない。
このことを最後に記し、シーア派の人々の心のルーツが不用意に踏みにじられることがないよう祈り、アーシュラーに関する一連の投稿を終えたい。
【関連】




【参考書籍】
シーア派の基礎知識、歴史、変遷を体系的に知るには、この本が「1冊目」「理解の軸」として最適。
シーア派の中でも、ホセインの殉教に関することや、その系譜(十二イマーム派)については、以下の本が詳しく、かつ易しい。
一般書籍の価格帯でありながら、シーア派について深堀りしている貴重な一冊。
高額で分厚い専門書に手を出す前に、ワンステップ挟むのにオススメ。
イランの文化や歴史に絞って知りたいなら以下の本が役に立つ。
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